医療安全とは〜プロローグ 口という装置と歯医者さん〜
口を開けてみてください。
開けたその口の中。歯があり、舌があり、歯茎、ほっぺたの粘膜があり…。
上下の唇から喉の奥までの粘膜で囲まれた空間。
"口の中"。難しくいうと"口腔"。直接は見えない、鏡越しでしか見えない、自分です。この口の中は実はとても特殊な身体部位だということは今更言うまでもありません。
誰かの"口の中"に、どこにも触らないように何か入れてみます。例えば、鉛筆、使った後のスプーン、自分の唾をつけた指。
するとどうでしょうか?結構嫌がられます。なんか"汚い"とか、鋭利なものなら"怖い"とかいった感情が湧いてきます。でも理屈でいうとそこは空間であり、触っていないから汚くはない。怪我させることもない。その入ってくるものが粘膜とか触らなくても相手に嫌悪感を与える。犬だと間違いなく噛まれます。なぜでしょう?
哲学者鷲田清一先生は、このように述べておられます。
"人は自分の境界が不明瞭になることに不快感を抱く"
モードの迷宮 鷲田 清一 ちくま学芸文庫
境界が不明瞭な部分ってどこでしょう。まさにそれが口なのです。皆さんは自分の口の中を鏡越しにご覧になっている。それは実像ではありません。自分の口の中は直接見ることはできません。見えそうで見えない口は、自分と自分ではない境界が不明瞭なところの代表格です。実はこんな繊細な部分で歯科医療は行われています。
では"いい歯医者さん"ってなんでしょうか?
娘の友達ママさんたちに聞いてみました。
"痛くない歯医者さん"
"怖くない歯医者さん"
"待たなくっていい歯医者さん"….まあそんなところでしょう。
実はそこには治療のことは言及されていません。我々歯科医師がもっとも大事にしている医療水準に関心がないのではなく、そこは当然、質が高くて、安全だという前提です。患者さんたちからの信頼の上に成り立っている医療の質、安全性が実は損なわれているとしたら…..
質が高くて、安全だという前提が崩れたらこれほど確かめようのないところはありません。境界不明瞭であるゆえに一度不利益が生じると一気に不快感が爆発します。それが口の中、歯科の現実なのかもしれません。
"いい歯医者さん"の定義は時代や価値観、立場や見方によって大きく変わります。これまで口にするまでもなかった"安全に治療してくれる歯医者さん"。安全に対する意識はこれからますます大きくなるでしょう。
この連載では医療安全の観点で"いい歯医者さん"について書き綴っていきたいと思います。それは国民のみなさんに"安全でいい歯医者さん"をきちんと理解して選んでいただき、"安全でいい歯科治療"を受けて欲しいからです。黙って口を開けさえすれば、いい治療が受けられることはありません。みなさんの一人ひとりが勉強しなければいけません。溢れるネット情報もそうです。いろんな情報の中から自分にあった、適切な情報を選ぶ目を養ってほしい。そのための情報発信になればいいなあと思っています。