キンバリー事件の真相を探れ!!
前回、歯科器具の使い回しの何が問題なのかを述べました。歯科用器具の使い回しが院内感染の経路に関わっているということですが、これにはきっかけとなる事件がありました。20数年が経た現在NewYork Timesなどアメリカの当時の新聞報道の記録がネット上で閲覧することができます。国内では感染防御の意識の高い歯科医院のHPに記載されるのみにとどまっています。
その概略はこうです。
"1991年9月 キンバリー・バーガリスさんがHIVに感染しました。しかし彼女は経験なクリスチャンで、HIVに感染する要因(性交渉や使い回し針を使った違法薬物使用など)が全くありませんでした。調査の結果、デビッド・アーサー歯科医師の医院には他5名のHIVに感染者がいることがわかり、彼女もそこで治療を受けていました。当時、デビッド・アーサー歯科医師自身もHIV感染者でした。"故意に"感染させたとしか思えない、と米国の医療関係者の間では考えられていました。"
その歯科医師はHIV感染症ですでに亡くなっており真相はわかりません。泣きながら訴えるキンバリーさんの姿は、歯学生だった私にはインパクトがありました。
当時の報道では歯科医師は自分のHIVウイルス入りの血液を患者に注射していたとされていました。しかし今でもこの解釈には違和感があります。`血液をどうやって、患者さんに注射する?`医療常識として感染症をより高い確率で成立するためには血液を相手の体内に入れることです。しかし歯科治療ではそのような機会はあまりありません。歯の麻酔くらいです。これが有力な感染経路かもしれません。実は歯科用局所麻酔製剤にはかつて防腐剤が入っていました。これは複数の症例で使い回すのが前提でした。アメリカの当時の歯科事情が分からないので推測ですが、一本の麻酔薬を使い回していた可能性はあります。でもそれは特別なことではありません。私が子供の頃、集団予防接種はガラスシリンジで数人分の使い回しでした。
今ではどちらもびっくりすることですが、医学常識は驚くほど変わっていきます。それは研究の結果、より良いことに向かっていくのですが、振り返るとかつてはこんなことしていたんだと驚くことはしばしばあります。
他にも重大な感染経路があります。歯を削るハンドピースという器具。いわゆる削るドリルです。これは30〜40万回転/分のすごいスピードで水を出しながら回っています。それをフッドペダルで調整するのですが、削り終わって、止まった時に一瞬、水が出るところが陰圧になります。そこに患者さんの口の中の分泌液が吸い込まれていくことになります。そのまま、もしくは表面を洗っただけで次の患者さんに使うと、削り始めに吸い込まれた前の患者の分泌液が噴出します。これも感染源であろうと推測されました。`サックバック:suck back`と呼ばれる現象です。この現象が知られるや、各歯科器材メーカーはサックバック防止機能を搭載したハンドピースを発売しました。今から30年くらい前の話です。現在、サックバック防止は標準的な機能ですが、厚労省は使用したハンドピースは患者ごとに交換し、滅菌することを推奨しています。
参考:歯科医療機関における院内感染対策について 医政歯発 0604 第2号 平成26年6月4日
キンバリーさんのことは不幸な現実ですが、具体的な数字として我々に結果を示してくれています。
キンバリーさんの通院した歯科医院がどのくらいの患者さんがあったかはわかりません。しかし少なくとも数年間にわたり、適切に器具の滅菌処理をしない、使い回しをしていると、6名にHIV感染が成立するということです。HIVは血液を直接体内に入れてしまう、針刺し事故において感染率が0.3%でした。HCVでは1.8%で、HBVでは1-62%ですので、比較的感染率の低い感染症です。しかし他の感染症だとHIVの数倍、数十倍に及ぶ感染を媒介していることが言えます。
そんなアメリカで、このような出来事がありました。
2013年3月28日、オクラホマ州の保健当局は、同州タルサにあるこの歯科医院で治療を受けたおよそ7千人にHIVとHCVの検査を呼び掛けました。
この歯科医院では滅菌処置を怠っていたことでHIVとHCVの院内感染が生じていたのでした。
参考:Oklahoma warns 7,000 dental patients of HIV, hepatitis risk
#HEALTH NEWS MARCH 30, 2013
なかなか教訓が活かしきれていない感じがあります。決して風化させてはいけない出来事なのです。
実際に歯科医院の全ての器具を滅菌するとなると物理的にも問題が多くあります。またかなりコストがかかります。滅菌するためのコストは歯科医院経営で軽視できないくらいのウエイトを占めてしまうのも事実です。そこで歯科用の器具はその用途に合わせて段階を設けて、区別化して滅菌消毒を行ったり、ディスポーザブル(使い捨て)器具を用いることで各医院が工夫しています。
歯科の器具の使い回しが問題になって久しいです。器具の滅菌についてが独り歩きしている感も否めません。本稿は使い回しの何が問題なのか、その本質的な部分を述べてきたつもりです。歯科を糾弾するものでもなければ、その功罪を論じるのでもありません。しかし、各医院で器具の扱いには差があるものまた事実です。不要な混乱を防ぎ、患者さん−歯科医ともに意識を高めていって、理想的な医療環境に一歩でも近づくことになることを願います。